2008年11月01日
哲学堂にて
先週末に高崎哲学堂(旧井上邸)にて住まいづくりセミナーを終えました。
たくさんの方々の参加を頂きありがとうございました。
あまり天気のいい日ではありませんでしたが、建物の雰囲気を味わうには曇りのほうがいいように感じました。陰影のはっきりしない柔らかな光の方が似合うのは、アメリカ人建築家が創っていながら日本的な作法に則った設計になっているからではないでしょうか。高崎駅近くとは思えないような、都市の中のオアシス。大きなケヤキやクヌギが5、6本あり家屋を覆うほどに育っています。計画的に植えられた木々により塀の外からは建物は見えません。
こんなに豊かな自然と住空間がマッチした環境はそうはないと思います。かつてここが、井上氏の死後ある事情から競売にかけられたことがあった訳ですが、哲学堂設立の会や有志の方々の保存買取の行動がなかったらここも今は、大きな建築物の敷地でしかなかったかも知れません。いま私達がここにいて住まいや都市、環境のことを感受できることに改めて感謝したいと思います。
住まいのセミナーの方も、このようなことを題材に、最後に残せるものは空間であり物としての建築そのもの。しかし、それを構築するのは建築家とクライアント(建て主)の意志でありコンセプトがあってのことではないかとお伝えして終えました。
高崎哲学堂はここを訪れれば誰にでも、自然とものを考える力をくれるような気がします。
時々は訪れたい場所になりました。皆さんもいかがですか。
たくさんの方々の参加を頂きありがとうございました。
あまり天気のいい日ではありませんでしたが、建物の雰囲気を味わうには曇りのほうがいいように感じました。陰影のはっきりしない柔らかな光の方が似合うのは、アメリカ人建築家が創っていながら日本的な作法に則った設計になっているからではないでしょうか。高崎駅近くとは思えないような、都市の中のオアシス。大きなケヤキやクヌギが5、6本あり家屋を覆うほどに育っています。計画的に植えられた木々により塀の外からは建物は見えません。
こんなに豊かな自然と住空間がマッチした環境はそうはないと思います。かつてここが、井上氏の死後ある事情から競売にかけられたことがあった訳ですが、哲学堂設立の会や有志の方々の保存買取の行動がなかったらここも今は、大きな建築物の敷地でしかなかったかも知れません。いま私達がここにいて住まいや都市、環境のことを感受できることに改めて感謝したいと思います。
住まいのセミナーの方も、このようなことを題材に、最後に残せるものは空間であり物としての建築そのもの。しかし、それを構築するのは建築家とクライアント(建て主)の意志でありコンセプトがあってのことではないかとお伝えして終えました。
高崎哲学堂はここを訪れれば誰にでも、自然とものを考える力をくれるような気がします。
時々は訪れたい場所になりました。皆さんもいかがですか。
Posted by mutugoro at 17:05│Comments(0)
│ぶんか・建築・空間